東京地方裁判所 昭和33年(ヨ)4031号 判決 1959年3月14日
申請人 岩井義照
被申請人 商工組合中央金庫
主文
本作仮処分申請を却下する。
申請費用は申請人の負担とする。
事実
申請代理人は「被申請人が申請人に対し昭和三三年三月一日付でした被申請人の福島支所への転勤を命ずる意思表示の効力を仮に停止する」との判決を求め、その申請の理由として、
一、申請人は、昭和二七年三月日本大学法学部政治経済学科を卒業した後、同年四月被申請人に雇用され、爾来その神戸支所に勤務していたが、昭和二八年六月本所(被申請人の肩書地に存する主たる事務所)に転勤し、最初庶務部に、次いで昭和三一年三月から営業部において勤務していたところ、昭和三三年三月一日付で被申請人から福島支所へ転勤を命ぜられた。
二、しかしながら、右転勤命令は不当労働行為であつて無効である。
即ち、
(一) 申請人は、被申請人の従業員の組織する商工組合中央金庫職員組合(以下組合という。)の組合員であるが、組合における経歴として、
(1) 昭和二八年一二月 組合の機関紙「組合通信」の編集員に、
(2) 同年二月 同編集責任者に、
(3) 同年四月 組合代議員兼本所支部情報宣伝部長に、
(4) 同年八月 中央執行委員、総務部長に、
(5) 同年一〇月 組合の綜合文化祭の実行者に、
(6) 昭和三〇年六月 中央執行委員(再選)、組織部長兼総務部長に、
(7) 昭和三一年一〇月 中央執行委員(三選)、書記長に、
(8) 昭和三二年一一月 中央執行委員(四選)、法規対策部長に、
選任又は選出された。
(二) その間申請人は次のような組合活動を行つた。即ち、
(1) 申請人は、本所に転勤した昭和二八年六月頃から、従来被申請人より経費の援助をうけ、且つその主催によつて福利厚生的な活動として行われていた文化活動を、組合の自主的サークル活動に改めるべく指導し、これを組合自らの経費によつて活動する組合内部における演劇、読書、絵画などの部門として確立した上、更に当時の全国銀行従業員組合連合会の文化活動の一部門に発展させた結果、昭和二九年には第一回の組合文化祭が開催される運びになつた。そのため申請人は青年婦人層の組合員から強い支持をうけて、同年八月中央執行委員に当選するに至つた。
(2) かくして中央執行委員になつた申請人は、組合の青年婦人部の設置に努力した結果、全国二〇ケ所にその実現を見たが、更にブロック別の青年婦人代表者会議開催の企画を立て、昭和三〇年七月中央執行委員に再選されると共に右の計画を推進したため、昭和三一年には北越、関東信越、近畿などの地域で青年婦人代表者会議が開催されるに至つた。
(3) 右のような青年婦人部の活動の結果、青年婦人組合員の労働条件向上についての関心が高まり、昭和三〇年末頃被申請人から職階制を導入した低年層及び青年婦人層に不利な給与体系合理化案が提案されたのに対して青年婦人層の組合員は強く反対し、昭和三一年秋の組合総会において全員一致で右提案に断乎反対する旨の決議がなされ、申請人は、組合員の支持をえて組合始まつて以来最年少で書記長に選任された。一方組合においては、被申請人の前記給与体系合理化案に対する対案を申請人及び大竹清彦中央執行委員が中心となつて作成して昭和三二年一一月の組合総会で決定したところ、昭和三三年二月一九日被申請人からこの組合案に真向から対抗する案が提示され、被申請人はこれを同年四月一日から実施しようとした。かくして給与体系の合理化に関する問題を廻つて昭和三三年三月一日頃から組合と被申請人との間に団体交渉が行われることになつていたところ、被申請人はその直前に申請人に対して前述のような転勤命令を発したのである。
(三) 叙上のような経緯に鑑みるときは、右転勤命令は、被申請人が申請人の組合活動を嫌悪し、殊に給与体系合理化問題に関する団体交渉の過程において申請人から強硬に組合側の主張要求のなされるべきことを察知して事前にこれを封殺するため、申請人を組合活動の中心である東京から遠隔地に転勤させることを目的としたものといわざるを得ないのである。
尤も、被申請人が右転勤命令を発するに当り労働協約第二一条の規定に基き組合に協議したのに対し、組合が申請人の転勤に異議ない旨の回答をしたことはあるけれども、元来不当労働行為に当る右転勤命令につき救済をうけるべき申請人の労働者としての固有の権利が右のような組合の同意によつて左右されるいわれはないばかりでなく、被申請人は申請人以外の中央執行委員の大部分の者が被申請人に協調的であることを知り抜いていたため、申請人に対する転勤命令につき容易に組合の同意がえられるものと確信し、この手続を経ることによつて転勤命令の合法性及び合理性を裏付けようと画策したのであるから、組合の同意があつた事実は、被申請人の申請人に対する転勤命令が不当労働行為に当ることについて何等の影響をも及ぼすものではないといわざるをえないのである。
三、申請人は、右転勤命令につき無効確認訴訟を提起すべく準備中であるが、右命令を発せられたことによつて次のような回復し難い著しい損害を蒙つている。即ち、
(一) 中央執行委員としての組合活動を行えないこと、
申請人は現に組合の中央執行委員であるところ、委員会は本所で、毎週一回木曜日の昼に、定期に特に緊急な議題があるときはその都度臨時にも開催されるのであつて、殊に前記のような給与体系の合理化に関する重要問題が未解決な現状にある以上頻繁に委員会が開催されなければならない折柄であるのに、福島支所に転勤した申請人としては委員会に出席することが事実上不可能であるのみならず、現在法規対策部長を兼任している申請人の所管事項に関連する、組合の重要問題についての団体交渉に出席することものぞめず、結局中央執行委員、法規対策部長としての申請人の日常の組合活動はすべて阻止されることにならざるをえないのである。
(二) 経済上の出費が嵩むこと、
申請人は、本所在勤中自宅より通勤していたので家賃を支出する必要はなかつたのであるが、転勤先において下宿生活を余儀なくされ、従来申請人の扶養していた母を東京の自宅に残し二重生活をしているため、その出費が著しく増大している。
(三) 精神的苦痛が甚しいこと、
申請人は不当労働行為に当る転勤命令に対して強硬に反対したにもかかわらず、ともかくも一応意に反して転勤せざるをえない事態に立ち至り、そのため申請人の蒙る精神的苦痛は筆舌に尽し難いものがある。
四、よつて、申請の趣旨記載の裁判を求めるため本件申請に及んだ次第である、と述べた。(立証省略)
被申請代理人は主文同旨の判決を求め、答弁として、
一、申請理由一の事実は認める。
二 (一) 申請理由二の(一)の事実中、申請人がその主張の組合の組合員であること、申請人が昭和二九年八月、昭和三〇年六月、昭和三一年一〇月及び昭和三二年一一月にそれぞれ組合の中央執行委員に選出され、その主張の期間中書記長又は法規対策部長になつていたことは認めるが、申請人がその主張のように総務部長又は組識部長兼総務部長の地位にあつたこと及び申請人の組合におけるその余の経歴については知らない。
(二) (1) 申請理由二の(二)の事実中、申請人がその主張の如き組合活動を行つたことは、以下に述べるところに牴触する限度においては否認し、その余については知らない。
(2) 申請人の主張する組合文化祭なるものは、戦前から被申請人の全役職員を会員として、会員の醵出する会費と被申請人の補助金等によつて、会員の体育、趣味、娯楽及び教養等の向上を図ることを目的とした「交友会」と称する団体と組合との共同主催により開催されたものであつて、決して申請人のいうような組合のみの単独主催になるものではなかつたのである。
(3) 申請人の主張する給与体系の合理化に関する問題は、昭和三〇年八月組合の比田井委員長から被申請人の理事長宛の「給与等につき申入れの件」なる文書により、続いて翌三一年四月同委員長及び組合の石川給与対策部長から被申請人に対し口頭により給与体系合理化の申入れがあつたのに始まるのであるが、更に同年一一月組合の大竹委員長から被申請人の理事長宛に「給与、厚生等の問題につき申入れの件」と題する文書により前示の問題について申入れがあつたほか、翌三二年二月に至り、かねて組合が給与体系合理化案の作成のために設置していた小委員会から被申請人に対して給与の実態調等に関する資料の提出方の申出があつた。被申請人は、この申出に応じたのであるが、その後組合の給与体系合理化案が同年一一月の組合総会に付議されて可決になつた旨の報告をうけた。一方被申請人は、当時の給与の実態分折、他の金融機関における給与体系の調査及び生計費の推移等につき種々の検討を行うと共に、給与体系の改訂に関しては監督官庁の認可を必要とする関係上慎重に審議した結果、漸く同年一〇月給与体系の合理化について基本的な構想を取り纒め、組合の執行部にその概要の説明を行いうるに至つたのである。叙上のような経緯であるから、決して申請人主張の如く昭和三〇年末頃被申請人から給与体系の合理化を提案したものではない。被申請人は、その後においても給与体系の合理化の具体化を図るべく、昭和三三年二月自らの案を組合に提示し、同年三月から組合と団体交渉を行つてきたが、同年五月中旬概ね妥結点に到達した。
以上のように給与体系の合理化については、組合において発案以来相当の年月を要したとはいえ、団体交渉中もその以前においても、当事者間に格別の対立を生じたことはなく、しかも申請人は給与体系合理化案作成のために組合の設置した前記小委員会の委員でも、右団体交渉のための交渉委員でもなかつたのである。
(三) (1) 申請理由二の(三)の事実中、被申請人が申請人に対して転勤を命じたことが不当労働行為に当ることは否認する。申請人に対する転勤命令が前記団体交渉の始まる直前になされたことも、上述のような経緯に照らすときは、被申請人が申請人を給与体系合理化案の折衝に障害になるものとして嫌悪したことによるものでないことは明らかである。
(2) 被申請人が申請人に対し転勤命令を発するに当り労働協約第二一条の規定に基き組合に協議したところ、組合から異議がない旨の回答が寄せられたことは、申請人の主張するとおりであるが、被申請人に申請人主張の如き申請人に対する転勤命令の合法性及び合理化を糊塗しようとする意図のあつたことは否認する。
(3) 申請人に対する転勤命令は、被申請人が毎年三月に行ういわゆる定期異動に伴う転勤の一環として発せられたものであつて、申請人の組合における地位及びその組合活動とは何らの関係もないものである。即ち、被申請人は、業務の飛躍的進展をみるに至つた昭和二五年頃から毎年四月に新規学校卒業者を従前に比して大量に採用してきたことその他諸般の事情から爾来毎年三月に普通職員(部長、支所長、次長、代理、調査役、事務主任等の役付職員以外の者をいう。)の大量移動を行うことが必要になつた。定期異動は主に大学卒業者及びこれに相当する者を対象として、将来幹職部員となるに必要な経験をえさせるための機会を与えること、本所及び支所間又は支所相互間の人事の交渉によつて職場空気の刷新、ひいては事務能率の増進を図ること、その他業務上の必要に処することを眼目とするものであつて、対象職員の採用年次、同一事業所における勤続年数等を考慮の上適材を適所に配置することを所期して行うものである。
ところで被申請人は昭和三三年二月二〇日、昭和二五年度以前の大学卒業者及びこれに相当する者で役付職員の地位にある者八〇名(普通職員よりの昇格者四〇名を含む。)の異動を行つた後、同年三月一日付をもつて申請人を含む総員八一名に及ぶ定期異動を行つたのであるが、右八一名の内大学卒業者(旧高等専門学校卒業者を含む。以下同じ。)は六四名で、全体の約八〇パーセントを占め、なお勤務場所の変更を伴つた転勤者は七三名で、内大学卒業者は六一名に達した。右定期異動は、前記の如く大学等の卒業年度が昭和二五年度以前の役付職員の異動と関連して行われたため、自然昭和二六、七年度を中心にこれに続く年度に大学を卒業して採用された者をその対象とすることになつた。
被申請人が右定期異動において申請人に対し福島支所への転勤を命じたのは、左記のような理由に基くのである。前述のとおり昭和三三年二月二〇日に行われた役付職員の異動により昭和二五年度大学卒業者及びこれに相当する普通職員は大部分役付職員に昇格したので、その補充を必要とする一方、右役付職員の異動に伴い必然的に昭和二六年度大学卒業者が各職場において普通職員の指導的地位を占めることとなるので、被申請人はこれを配置を検討し、本所及び支所を通じてそれぞれの業務規模に応じて職員の学校卒業及び採用年次の構成を均衡化すると共に昭和二六年度大学卒業者で採用以来相当長期に亘つて支所にのみ在勤し本所勤務の経験のない者に対しては事情の許す限り本所における執務の経験を与えることとし、且つ支所から本所へ転勤する者の後任には本所と支所との人事交流を図ることを趣旨とする定期異動の目的に鑑み、又職員の交替に伴う業務上の影響をも考慮して比較的年次の近い者を充てることに方針を定めた。この方針に基いて福島支所勤務の長谷川喜淑を本所に転勤させる一方、その後任として本所勤務の申請人を転勤させることにしたのであるが、その事情は次のとおりである。
(一) 昭和三三年三月当時福島支所には昭和二六年度大学卒業者として大島英男及び長谷川喜淑の両名が配置されていたので年次構成の均衡を図るためその内一名を転勤させる必要があつたところ、大島英男は昭和三〇年九月前橋支所から福島支所に転勤した者であつて、福島支所の在勤年数が比較的短いのに反し、長谷川喜淑は採用以来七年間一度も転勤せず、本所勤務の経験もなかつたので、同人を本所へ転勤させることに決定したのであるが、その後任の選定に当つては以下の諸点が斟酌されなければならなかつた。
(イ) 長谷川喜淑が本所に転勤すると、福島支所には昭和二六年度大学卒業者として大島英男が残留することとなるので、年次構成上、長谷川喜淑の後任には次年度の大学卒業者を補充することが好ましく、しかも同支所には昭和二七年度採用以来引続き六年間同支所にのみ勤務している山根正勝がいて、次回の定期異動には同人の転勤を考えなければならないので、これに対処するため予め昭和二七年度の採用者を福島支所に配置しておくのが適当であること。
(ロ) 長谷川喜淑は当時調査兼貸付係であつたが、調査係としての執務期間は短く、従つてその後任者は必ずしも調査係の経験者であることを要せず、むしろ貸付係、管理係等を経験した者が要請されること。
(ハ) 長谷川喜淑は下宿住いの独身者であり、福島支所においては社宅に余裕がないところからその後任には住宅確保の便宜上独身者が望ましいこと。
(二) ところが申請人は、(イ)昭和二七年度の大学卒業者であり、既に四年八ケ月間本所に勤務し、(ロ)神戸支所において管理係、本所において庶務部のほか営業部貸付係及び管理係を担当した職歴を有し、幹部職員候補者としての数育過程にあり、早晩役付職員の地位に就くこととなるので、できる限り各般の業務につき経験を持たせる必要があり、就中申請人と同期の大多数の者は既に調査係の業務(被申請人に対して資金の借入申込をする企業者の信用調査に従事するもので、被申請人の営業の中心部門である。)を経験ずみであるので、この業務に未経験である申請人にも調査係を担当させることが望まれていたし、(ハ)独身でもあつたこと等の諸点に鑑み、被申請人は申請人を長谷川喜淑の後任として適任と認めて福島支所への転勤を決定の上発令したのである。その際申請人の主張する如く申請人の組合活動を嫌悪したが故に申請人を転勤させようなどということは、被申請人において全く考えもしなかつた事柄である。
三、申請理由三の事実中、申請人が転勤命令をうけたことによりその主張なような損害を蒙つていることは争う。これは詳述するに、
(1) 申請人が現に組合の中央執行委員で法規対策部長を兼任していることは認めるけれども、定例の中央執行委員会が毎週一回木曜日の昼に開催されていること及び申請人が転勤のため組合活動を行うことができないことは否認する。そもそも組合は、前記の如く申請人の転勤に異議のない旨を回答したのであるから、申請人の転勤がその中央執行委員としての組合活動にいささかの支障をももたらすものではないと考えたであろうことは想像するに難くないのみならず、現に中央執行委員会に申請人の出席を必要とする場合には、旅費を支給して申請人を招集しているし、福島支所に勤務しながらでも申請人において組合活動を行うことは必ずしも不可能ではない。更に申請人が昭和三二年一一月法規対策部長に就任してから転勤までの間に、その所管問題については一回も組合から被申請人に対して団体交渉の申入れがなされたことはなかつたし、今後もしそのような団体交渉を開く等の必要がある場合には当然組合において申請人に対し適宜の処置を執るものと考えられる。
(2) 申請人が母を扶養していることは否認する。申請人が福島支所へ転勤することによつてたとえ多少出費の嵩むことがあるとしても、申請人の生活を脅かす程度に著しいものでないことは明らかである。
(3) 申請人が転勤によつて精神的苦痛を蒙るというようなことは誇張も甚だしく、到底理解し難いところである、と述べた。(立証省略)
理由
一、申請人が被申請人に雇用されているものであり、その本所(被申請人の肩書地に存する主たる事務所)に勤務中、被申請人から昭和三三年三月一日付で被申請人の福島支所へ転勤を命ぜられたことは、当事者間に争がない。
二、申請人は、右転勤命令は被申請人が申請人の組合活動を嫌悪し、組合活動の中心部である本所から遠隔の福島支所に転勤させることにより申請人の組合活動を封殺することを目的としたものであるから、不当労働行為に当ると主張するので、先ず申請人の既往における組合活動について考察することとする。
申請人が被申請人の従業員の組織する商工組合中央金庫職員組合(以下単に組合という。)の組合員であること、申請人が昭和二九年八月、昭和三〇年六月、昭和三一年一〇月及び昭和三二年一一月にそれぞれ組合の中央執行委員に選出され、第三回目に選出された際に書記長に、第四回目に選出された際に法規対策部長に就任したことは、当事者間に争がなく、右事実といずれも成立に争がない甲第一三号証、乙第五、六号証、同第八号証の一ないし三、同第九号証の一、二、同第二〇号証、申請人本人尋問の結果によつて成立を認めうる甲第三号証、いずれも弁論の全趣旨によつて成立を認めうる甲第一号証、同第二号証、同第一一号証、同第一二号証及び申請人本人尋問の結果を綜合すれば、申請人は、
(1) 昭和二九年一月組合の機関紙「組合通信」の編集委員となり、記事取材のため地方の組合支部に出張する等事実上の編集責任者として右組合機関誌の発行に従事したこと、
(2) 昭和二九年五月組合の本所支部代議員に選出されて情報部長となり、同支部の機関紙「本所支部ニュース」の発行を担当し、当時組合と被申請人との間において懸案となつていた労働協約改訂の問題について、右支部機関紙及び前掲「組合通信」その他の文書等に被申請人の考え方に対する反対意見を屡々発表したこと、
(3) 昭和二九年八月中央執行委員に始めて選出され総務部長になると、従来会員の意思を執行部に反映させる機会としては年一回の組合総会があるのみで、組合の活動も主として機関紙の発行配付が行われる程度に止まつていたのを、支部組合員の総意を執行部に反映させて大衆活動を基礎にした組合活動に推進発展させるため、組合総会の外に、ブロック会議、中央委員会、青年婦人代表会議等の開催、青年部婦人部の独立、執行部オルグの強化、執行委員の増員等を企画し、これらの施策に伴う経費の増加をまかなうために組合費の値上運動等を展開したこと、
(4) 昭和三〇年六月中央執行委員に再選され組織対策部長となつた機会に、(3)に掲げた企画を実行に移す一方、各地のブロック会議に出席してオルグ活動を強化し、特に組合員の多数を占める青年婦人層の指導に努力した結果、昭和三二年二月までの間に全国支部二〇以上に青年部又は婦人部が結成されるに至つたこと、
(5) 昭和三一年一〇月中央執行委員に三選され書記長に、翌三二年一一月中央執行委員に四選され法規対策部長になつたが、その間給与体系の合理化に関する組合案の作成に参画したこと、即ち、昭和二八年以後職員の昇給額の基準について被申請人は、本俸一四、〇〇〇円以下のものは六五〇円以上、本俸一四、〇〇〇円以上のものは八〇〇円以上と定めていたところから、組合は最低昇給額は六五〇円であると主張するに対して、被申請人は右昇給金額は標準額にすぎないから標準以下の能力しかない者については昇給額が零の場合もありうるとの見解を示していた折柄、昭和二九年四月における定期昇給の際にかねて組合の主張していた最低昇給額を下廻つた者が若干名あり、且つ男女職員間の給与の格差が少いことが表面化してきたこと等の理由から、昇給基準の明確化その他の問題が組合において真剣に論議されるようになり、昭和三〇年四月五日及び同年八月一八日には組合の比田井委員長より理事長宛の文書をもつて給与体系の合理化を被申請人に申し入れるに至つたが、その後昭和三一年四月に被申請人の人事部より組合に対し、昭和三二年四月以降は従来どおりの昇給を行えない旨の言明がなされたので、組合は昭和三一年八月頃から本格的に給与体系の合理化問題につき調査研究を続けた末、執行部の案を作成して、同年一〇月の組合総会に付議したが否決され、比田井委員長が引責辞職したため、大竹清彦を委員長として新たに構成された組合執行部において更に検討を続けることとなり、同年一一月二八日被申請人に対し三度文書により給与体系の合理化について申入れをする一方、組合案の作成のために組合内に小委員会を設け、被申請人に資料の提供を求める等して討議を重ねた結果、執行部内において大竹委員長及び申請人の支持するいわゆる大竹案と中川給与対策部長その他中央執行委員の支持するいわゆる中川案の二案が作成されたが、結局において中川給与対策部長らの意見を中心としたものが執行部案となり、これが昭和三二年一一月の組合総会において可決されたところ、他方被申請人より同年一〇月その立案にかかる給与体系合理化案の骨子が、次いで昭和三三年二月一九日右案の全貌が同年四月一日から実施する意向であるとして組会に提示され、前記組合案との調整を図るため組合と被申請人との間で団体交渉が行われることになつていたこと、申請人は右団体交渉の交渉委員にはなつていなかつたけれども、中央執行委員として被申請人の案に対して終始強く反対していた。
ことを認めることができる。甲第一二号証、同第一三号証中右認定に反する部分は採用し難く、他に右認定を動かすに足りる疎明はない。
右認定の事実からすれば、申請人は昭和二九年一月頃から相当熱心に組合活動を行つてきたものと解すべきである。
しかしながら、被申請人の申請人に対する前示転勤命令が申請人の組合活動を理由としてなされたものであるとの申請人の主張に副う甲第九号証、同第一二号証、同第一四号証、同第一五号証及び申請人本人尋問の結果はにわかに採用し難く、他にこの点に関する申請人の主張を認めさせるに足りる疎明はなく、また当時者間に争のない、被申請人が組合の中央執行委員である申請人を転勤させるにつき組合に協議してその同意を得たことが、申請人の主張する如き意図に出たことを認めうる疎明もない。かえつて、いずれも成立に争がない乙第二号証の一、同第五号証、同第一一号証、同第一二号証の一、同第一四号証、同第一五号証及び証人野中綱雄の証言を綜合すれば、
(一) 被申請人は、昭和二五年頃からその業務が飛躍的に発展したのに伴つて地方店舗の数も採用職員の数も急激に増加し、爾来被申請人が職員として採用した大学の卒業者又は中途退学者及び旧高等専門学校の卒業者又は中途退学者は、昭和二五年に七五名、昭和二六年に一三五名、昭和二七年に七二名、昭和二八年に一〇〇名、昭和二九年に八一名、昭和三〇年に四五名に達したが、これらの者を含む職員の配置及び異動は店舗の増設又は業務量の増加に応じてその都度弥縫的に行われてきた結果、同一店舗のみ長期勤務する者が生じて、職場の空気も沈滞気味となつたので、これが刷新を図ると共に将来の幹部職員を養成する見地からも、定期的に人事異動を行う必要が起つたので、被申請人は将来幹部職員となるべき大学卒業者を事情の許す限り本所又は大規模の支所とその他の支所との双方に勤務させることにより業務の全般につき経験を持たせると共に各店舗の業務量に即した適正な人員配置を図る外、同一年度の大学卒業者が同一店舗に比較的多く配属されていたり或は大学卒業者が一部店舗にのみ偏在しているというようないわゆる年次構成の不均衡を業務上の支障がない限り是正する方針の下に、新規採用職員の配置と合わせて毎年三月に一回定期に人事異動を行うことになり、昭和三一年三月には五〇名、昭和三二年三月には九〇名、昭和三三年三月には七三名の普通職員(役付職員でない者をいう。)の人事異動を行つたこと、
(二) 被申請人が申請人を昭和三三年三月の定期異動に際して本所から福島支所に転勤させることにした理由は、左のとおりであること、即ち、被申請人は、これより先同年二月二〇日に、昭和二五年度採用の大学卒業者及びこれに相当する者の大部分を役付職員に昇格させたので、その直後に行われた右定期異動はその後任の補充措置として自然昭和二六、七年度採用の大学卒業者等が主な対象となつたこと、
(三) かくして前記の定期異動の根本方針である本所支所間の人事交流を図るという見地に立つて人選した結果、福島支所に関していえば、当時同支所には大学卒業の普通職員として大島英男(昭和二六年四月採用)、長谷川喜淑(同年同月採用)、山根正勝(昭和二七年四月採用)、鈴木善助(昭和二八年四月採用)、松本之雄(昭和二九年四月採用)、吉田勉(同年同月採用)、岡本孝宗(昭和三〇年四月採用)、宮本邦郎(昭和三一年四月採用)、白岩良一郎(昭和三二年四月採用)の九名が勤務しており、昭和二六年度採用の者が二名配置されていて、いわゆる年次構成の是正を必要とする状況にあり、且つ昭和二六年度の大学卒業者は昭和三四年度に役付職員に昇格すべき候補者でもあるので、内一名を本所に転勤させて必要な執務経験をえさせなければならなかつたところ、大島英男と長谷川喜淑とを比較するに、大島英男は昭和三〇年九月前橋支所から福島支所に転勤した者であるのみならず、同支所の業務の重要部門である管理事務に経験の深い同人の転勤は暫らく見合わせてもらいたいとの同支所長の要望もあつたのに対し、長谷川喜淑は昭和二六年以来同支所にのみ勤務している者で、かつて転勤及び本所勤務の経験がなく、且つまた昭和二七年採用以来、引続き同支所に勤務している山根正勝は同支所の在勤年数において長谷川喜淑と大差はなかつたけれども、同支所長から先輩に当る長谷川喜淑を先ず転勤させてもらいたいとの要請があつたので、山根正勝の転勤は次期異動の際に考慮することとすると共にこれに備えるため、長谷川喜淑の後任には山根正勝と同一年度即ち昭和二七年度採用の大学卒業者を本所から同支所に転勤させることに方針を定めて、その候補者を選考したところ、申請人は昭和二七年三月日本大学法学部政治経済学科を卒業して同年四月被申請人に雇用され、神戸支所勤務となつたが、昭和二八年六月本所に転勤して当初は庶務部に、昭和三〇年三月からは営業部に勤務していた者で(この事実は当時者間に争がない。)、既に本所勤務が四年八月となり(被申請人は職員の本所内における職場の異動は当該職員の職歴として考慮はするけれども、いわゆる転勤と同様な取扱をしない建前をとつている。)、厚生、営繕係に二年九月、管理係に一年八月、貸付係に一年六月勤務した職務経歴を有するものであつたところ、長谷川喜淑は貸付係を三年一〇月、管理係を一年二月、計理係を一年一月、調査兼貸付係を一〇月担当して来ており、昭和三三年三月の定期異動当時には福島支所において調査兼貸付係の業務に従事していたが、同支所における調査係としての執務期間は短く、その後任者は必ずしも調査事務の経験が充分である者であることを要しないが、でき得れば調査係か貸付係を経験した者、少くとも貸付係を経験した者が望ましく、又同支所は比較的延滞債権の多い店舗であるところから、管理事務をも経験した者であればなお適任であると認められたので、申請人の職務経歴が前述のとおりであり、且つ一般職員の必修事務ともいうべき調査事務に未経験な申請人にこれが修得の機会を与える必要もあり、更に長谷川喜淑は独身者で下宿住いであつたので、福島支所には同人の後任として転勤してくる者に提供すべき社宅の余裕がなかつたことにも鑑みると共に、申請人と同じく、昭和二十七年度大学卒業者で本所に勤務中の一六名中右定期異動によつて他の支所に転勤を命ずべきものとした四名を除く残りの一二名の者は、いずれも当時担当中の事務の性質又は本所における在勤期間が比較的短い等の事情により直ちに転勤を命ずるのを適当としない状況にあつたところから、上述のような諸般の事情を勘案の上、なお独身者でもある申請人を長谷川喜淑の後任者に選ぶのが最も適当であるとして、申請人を福島支所に転勤させることに決定してその発令をしたものであること
を認めることができる。
さすれば被申請人の申請人に対する転勤命令が不当労働行為であるとの申請人の主張は理由がないといわなければならない。
三、以上のとおりであつて、右転勤命令が不当労働行為であることを前提とする申請人の本件仮処分申請は爾余の点について判断するまでもなく理由がないからこれを却下することとし、申請費用の負担につき民事訴訟法第八九条を適用し、主文のとおり判決する。
(裁判官 桑原正憲 大塚正夫 伊藤和男)